映画や創作物でたまにある「ドンデン返し」
僕はドンデン返しが大好きなので、「許せないドンデン返し」について執筆します。
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目次
そもそもドンデン返しってなに?
大方の読者や視聴者の予想を大きく裏切ったり、一旦終結したかに見えたストーリーを大きく覆したりするような結末が用意されているものが典型である
書いてある通りですね。
「犯人をやっと追い詰めた!!」というところまで来たが実はそいつは小物で、本物の黒幕は主人公の近くにいた!
という展開がドンデン返しです。
たまらんですね。
ドンデン返しは、別に本筋に影響を与えなくてもいい
ドンデン返しというのは、基本的にはクライマックス時、メインの筋書きを覆す形で登場します。
でもドンデン返しは、メインストーリーに関係の無い部分で発生しても全然嬉しいです。
ちょっと思い浮かばない(または説明しづらい作品だから書きたくない)ので例を書けませんが、「完全に鑑賞者に向けたサプライズ」みたいなドンデン返しですね。
こういうのもしっかりカタルシスが得られるので僕は好きです。
許せないのは「主人公が秘密を持っていた」という設定
僕がドンデン返し系展開で一番許せないのは「主人公が我々を騙していた」という設定です。
最近鑑賞した作品では、
・トールマン
・PET 監禁された女
の2つが該当します。
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※関連記事は最後にまとめて紹介しますこの2作品は、序盤あたりで軽めのドンデン返しがあります。
しかしどちらも、「実は主人公には秘密があった」系のドンデン返しであり、しかも伏線がほぼ無かったため、鑑賞者はカタルシスを得られませんでした。
まぁ「カタルシスが得られない」という分には受け入れます。
しかしこの手法を取り入れたせいで「主人公に感情移入できなくなる」という大きなデメリットが生まれます。
ダメな監督(脚本)はドンデン返しを取り入れるにあたり「観客を騙せばいい」と思っています。
でもそれは全然違う。
まるで将棋のルールを知らない人に嘘の飛車の動きを教え、大詰めで「実は飛車はこんなにいっぱい動けるんです~」と言いながら王手する。
そんな幼稚な展開に見えます。
ドンデン返しは、いくらかの伏線があるおかげで成立します。
伏線無しのドンデン返しは、もはやただの「新情報の提供」です。
唐突に現れる新情報に対し、気持ちよくなれるはずがありません。
観客に
「えー!なにそれ聞いてないよ!」
と思わせるのではなく、
「なるほど。確かに思い当たる節があるな・・・」
と「全ての辻褄が合う快感」を提供すべきなのです。
「全ての謎が繋がる瞬間」が大どんでん返しの醍醐味であり、難しいところです。
これを思いつけないがために、多くの創作者が苦悩していると思います。
で、「主人公が実は秘密を持っていた」系の話ですが、観客は基本的に主人公に感情移入します。
そして最後、「実は主人公が犯人だった」という展開になったら、めっちゃ腹が立ちます。
「主人公の秘密」として、「実はこんなトラウマがあった」とか、「実は誰々と血の繋がりがあった」とかならまだ納得できます。
でも、「観客を騙すため」の秘密は非常に悪質です。
許せません。
主人公と観客の間に大きな温度差、距離感が生まれます。
そうなると、最後まで作品に距離を置くことになってしまいます。
SAWシリーズのドンデン返し
SAWは全てにおいて、ラストにドンデン返しがあります。
これらはほぼ全て「主人公も驚愕する形」なので、僕は納得しています。
しかしひとつ怪しかったのが、「SAW4」でのドンデン返しです。(未見の方はネタバレを避けるために読まない方がいいかも)
SAW4では、人質だったホフマン刑事が敵の後継者の一人だという事が判明します。
ここまではいいのですが、問題はその騙し方です。
ホフマン刑事が拉致される直前、後ろに「豚のマスクを被った人」がこっそり立っていました。
そして場面は監禁されたホフマンのシーンに映ったので、誰がどう見ても「拉致された」と思います。
しかし、ホフマンは敵の一味だと終盤で判明します。
ではあの豚の男は??
終盤の回想シーン(ネタ晴らし)で判明するのですが、あれは豚のマスクを被った男が後ろに立っていたわけではなく、「豚のマスクが壁にかけてあった」ということでした。
それをうまい具合に構図やエフェクトでごまかしていただけなのです。
これはちょっとどんでん返しとして怪しいですね。
ホフマンは主人公じゃないので構わないのですが、「カメラワークを使ったトリック」というのは、観客だけに向けた演出です。
SAWシリーズの他のドンデン返しとはちょっと毛色の違う、違和感まみれのドンデン返しでした。
「ユージュアルサスペクツ(1995)」のドンデン返し
※ネタバレしているので未見の方は読まないでください
身体が麻痺して歩き方がぎこちなかった「キント」。
そのキントが黒幕だと分かった時、我々は最高に気持ち良い衝撃を受けました。
キントは半ば主人公でした。
でもキントが黒幕だと分かった時、なぜ我々は感動できたのか?
それは「作品が警察側も描いていたから」だと思います。
特に終盤になるにつれ、犯罪者集団の主人公たちよりも、真実に近づく警察側の目線の方が濃くなっていたように思います。(うろ覚え)
だからうまい具合に警察側にも感情移入し、だからラストのドンデン返しで衝撃を受けられたんだと、そう思います。
「カイジ」や「ライアーゲーム」の大どんでん返しについて
和製創作物の中で僕が圧倒的に好きなのがこの2作です。
この2作は「ギャンブルもの」という共通点があります。
(ライアーゲームにギャンブルは登場しないが、作品のくくりとしてはそうなっている)
そしてこの2作、最近量産されている他のギャンブル物に比べ圧倒的にゲームのクオリティが高い。
余談ですが、僕が認めているギャンブル漫画は、ライアーゲーム、カイジ、アクマゲームの3つです。
(この中でもやはりカイジとライアーゲームは群を抜いている)
そしてこれらのギャンブル物は、主人公が勝つ展開が描かれる時のみ、トリックを我々鑑賞者に隠し続けます。
ある意味ではこれも「鑑賞者に向けたミスリード」です。
しかし主人公が策を打つ時、たいてい敵側の目線に移り変わります。
だから一時的に、感情移入の矛先を敵側に移すことができます。
そうなると、主人公が打った策に対し、鑑賞者は、敵キャラと一緒に驚愕できます。
ライアーゲームとカイジは、この辺りの描写が本当に上手いんです。
だから僕は好き。
どんでん返しが判明するシーンでは、主人公に驚かせるべき
まるで我々が感じた衝撃を、主人公が作中で代わりに表現してくれるような、そんなどんでん返しが一番気持ち良いです。
つまり、我々がビックリしているのであれば、それと同時に主人公もビックリしているということ。
「シャッターアイランド(2010)」では、ラストで主人公のテディ(レオナルド・ディカプリオ)は驚愕の事実に叩きのめされます。
この時はテディも動揺していたので、我々はテディと一緒に衝撃を体感できました。
また「インセプション(2010)」では、主人公のドム(これもレオナルド・ディカプリオ)が深いトラウマを持っており、これがどんでん返しのネタの一つでした。
ある意味これは「主人公の秘密」ではありますが、この話を聞いて衝撃を受けていた「アリアドネ」の存在と、「納得できる伏線」がいくつもあったので、僕は涙をボロボロ流しながら受け入れました。
(ここは泣ける悲しいシーンというわけでは無い。どちらかと言うと興奮した時に出る涙だ。)
インセプションはクリストファー・ノーラン監督の作品だが、ノーランは本当に「観客への衝撃の与え方」が上手い。
確かに、作品を深く考察するとあり得ない展開や突っ込みどころが多いのだが、観客にそれらを気にさせない作り方をしている。
「ドンデン返し」はこうあるべき!:まとめ
自分勝手にドンデン返しをまとめてみました。
僕はドンデン返しが好きですが「なんでこの作品のドンデン返しはハマれないんだろう?」と思うことが多く、その共通点に気付いたかもしれないと思い当記事を執筆しました。
感じ方は人によるのでその限りでは無いと思いますが、共感してくれる方がいれば嬉しいです。
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