「バットマン」シリーズに登場する究極のヴィラン「JOKER」。
さきほど、彼の誕生秘話を描いた作品「JOKER(ジョーカー)」をIMAX鑑賞してきました。
前半はネタバレ無し、後半でネタバレの感想を書きます。
目次
予告編(トレイラー)
作品情報
公開年 | 2019年 |
---|---|
原題 | Joker |
上映時間 | 122分 |
製作国 | アメリカ |
監督 | トッド・フィリップス |
脚本 | トッド・フィリップス、スコット・シルバー |
ジャンル | サスペンス,バイオレンス,ヒューマンドラマ |
主要キャスト |
ホアキン・フェニックス(アーサー・フレック/ジョーカー) ロバート・デ・ニーロ(マレー・フランクリン) ザジー・ビーツ(ソフィー・デュモンド) フランセス・コンロイ(ペニー・フレック) ビル・キャンプ(ギャリティ刑事) シェー・ウィガム(バーク刑事) ブレット・カレン(トーマス・ウェイン) |
配信サイト・媒体 |
(映画公開直後に執筆している為、不明) ※記事公開時の情報です |
あらすじ・みどころ
「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずのひとりの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。
魅力
①1人の男の「舞台裏」に密着した、ドキュメンタリー的な生々しさがある
②汚らわしくも美しい映像の数々
③ホアキン・フェニックスの演技が恐ろしい程に良い。「意志に反して笑いが出る」事の辛さがしっかり感じられた
気になる点
・予告トレイラーがピークだった
・JOKERが「カリスマ性」を持つに至った理由の作りこみが甘かった気がする
【ネタバレ無し】感想
バットマンシリーズはノーラン監督の「バットマン・ビギンズ」シリーズのみ鑑賞し、その中でも「ダークナイト(2008)」に登場する、ヒース・レジャー版「ジョーカー」に心酔した、という我ながらクッソミーハーな理由で本作に興味を持ちました。
たぶんそういう人も多いかと。
さて、本作は非常に地味です。
鑑賞後は、本作が面白かったのか、それともつまらなかったのか分かりませんでした。
そして、「なぜつまらないと感じたのか?」については、僕の期待のベクトルが「アメコミヒーローもの」に向いていたからだと気付きました。
どんなヒール役も、鑑賞者がつい感情移入してしまうようなバックボーンが用意されており、そのおかげで悪党の虐殺・報復シーンにカタルシスを感じることが出来ます。
そしてその為には、ヒール役が頭脳明晰だったり、特殊なアビリティを使って雑魚を蹴散らすような、そんなシーンが必要です。
筆者は「ダークナイト」にて、頭脳明晰で、高いカリスマ性を持つジョーカーに惚れました。
そして勝手に、「JOKER(本作)もヒース・レジャーに感化されて作ったのだろうから、ジョーカーの知性的な部分を大いに楽しめるはず」と考えていました。
しかし本作では、ジョーカーは頭脳戦を一切行いません。
だから鑑賞中のカタルシスも少なく、非常に地味でした。(これは悪い意味だけではない)
訳の分からないこともたくさんあったけれど、奇跡のように美しいシーンも多く、映画館で観て良かったと思える作品。
余談:予告トレイラーについて
トレイラーで使われてた壮大なオーケストラ曲が使われておらず、終始ダークなBGMばっかだったので、そこだけ少し残念。
しかし改めて、予告トレイラーの作り方が上手いなと感心。
まず「一切ネタバレせず、ジョーカーの魅力をしっかり伝えている」点が凄い。
予告トレイラーに心酔した僕は、たぶん10回以上はトレイラーを鑑賞しましたが、それでも本作がどういう物語なのか分からなかった。
既にジョーカーというキャラクターは知れているので結末は限られていますが、それでもどういうクライマックスを迎えるのか、全く分かりません。
トレイラーでももちろんそれを伏せています。
実際に本編を見て、「これはトレイラーで観た」というシーンは多々ありましたが、それが結構意外な続き方をしていたので、個人的に凄く好感が持てました。
※ここからネタバレを含みます。
【ネタバレ有り】感想・考察
本作の残念な点は、「妄想」という要素が登場したこと。
ここから本作は一気に難解になり、観客の多くが置いてけぼりを食らうことになったと思います。
・アーサーの妄想
・狂人になりゆくアーサー
後半はこの2点を咀嚼するのに、高い理解力を必要としました。
「妄想」と「現実」の区別
主人公の「アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)」や、その母親の「ペニー・フレック(フランセス・コンロイ)」が精神に問題を抱えているという情報は明示されていたので身構えることは出来ましたが、案の定「アーサーの妄想」が描かれるシーンがありました。
それが、トレイラーでも頻繁に登場していた、「ソフィー(ザジー・ビーツ)」との恋愛描写です。
あのシーンを予告で観て、「ある程度幸せな展開もあるんだ」と思ったし、途中までは確かにその通りでした。
しかし終盤で「ソフィーとの関係は全てアーサーの妄想」と明かされ、そこから本作に距離を感じ始めました。
まるで「ファイトクラブ(1999)」のどんでん返しシーンのような描かれ方でしたが、あそこまでのカタルシスやクールさは無く、ぶっちゃけ凄く残念な展開。
とにかく「妄想オチ」が嫌いで、もしそれを使うとしても、適度にヒントを散りばめてくれないと、マジでそこから感情移入が出来なくなります。
また、「妄想」が明示されたことにより、「もしかしたら〇〇のシーンも妄想だったんじゃないか?」みたいな考察も生まれてしまいます。
言ってしまえば、アーサーが精神病棟に居るというラストも、「実は本作の全てがアーサーの妄想、ジョークに過ぎない」と言っているようなもの。
もちろん「すべて妄想でした」なんてオチは許されるはずが無いので、仮に「妄想オチ」の考察の余地が残されていたとしても、筆者はそちらで考察する予定はありません。
・・・
というのが昨日(鑑賞直後)までの僕でした。
しかし改めて、「これは狂気の映画なんだ」と気付きました。(次項で解説)
本作は「狂気」を描いていることを忘れてはいけない
・深いだけの作品
・哲学的メッセージに気付いた途端面白さに気付く作品
・文学作品
筆者はこういう映画が大嫌いです。
どんなメッセージを込めるにせよ、まずは映画として、娯楽性を生み出して欲しい。
そんな気持ちで挑んだから、本作の鑑賞直後は複雑な心境だったのでしょう。
でも僕が見たのは、そういえば「ジョーカー」という狂人の映画でした。
「救い」や「爽快感」が無くて当然。
仮に本作が「本編はすべて狂人Jokerのジョークだったんだよ」と言われても、そりゃまぁ受け入れ辛いですが、納得は出来ます。
序盤はまだ「心優しいアーサー」だったので彼に感情移入できましたが、後半の彼の行動は理解出来なくても仕方がない。
製作人は恐らく「観客が思わず感情移入したくなるようなJokerのバックボーン」なんて作り込む気はさらさら無かったのでしょう。
それでもやっぱり「知的なシーン」が欲しかった
さっき「本作は狂人映画である」と結論が出たのですが、「頭脳バトルのシーンが欲しい」という欲求を満たしてほしかった。
僕のように「ダークナイト」でジョーカーに興味を持った鑑賞者は、きっと同じように「ジョーカーの頭脳」にも惹かれたはず。
本作と「ダークナイト」が完全に別物とは言え、やっぱりどこかで「ジョーカーのカリスマ性」には期待するはずです。
本作のアーサーはまだ「カリスマ性を持つ前」なので、高い計画性を持ったりとかはしなくても良いのですが、例えばディスりに対する切り替えしや、高いレベルのジョークを言うなど、そういう感じで「元から人を魅了する資質があった」と知らしめてほしかった。
本作を見る限り、アーサーのジョークレベルが高かったら本筋が変わってしまうので仕方ないですが、ちょっとアーサーを無能に描き過ぎじゃありませんかね。
たぶんそれも含めて「アーサーはJokerとして完成した途端、急に面白くなる」とかなんでしょうけど。
アーサーの「カリスマ性」はどうやって生まれたのか?
「ここまで人を魅了する悪党は、どうやって生まれたのか?」
本作は2時間かけてここをみっちり描いています。
しかし鑑賞後、「アーサーがカリスマになった理由」が分からないままでした。
アーサーは「ジョーカーになって初めて知性的になった」という事で納得したので、本作でずっと弱者なのは納得できます。
しかし最初の「銃殺事件」から、最後の「群衆のトップに立つまで」の全てが、群衆が勝手にそう作り上げたからでした。
鑑賞直後は「なんかご都合展開だな」なんて思ってましたが、恐らく本作には「どんなに普通の人間や弱者でも、急に狂人に成り得る」というメッセージも含まれているのでしょう。
どう観ても本作は、アーサーは狂人やカリスマになりたい訳では無さそうでした。
しかしゴッサムシティの住民の荒んだ心が、ジョーカーのようなダークヒーローを求め、勝手にアーサーを崇拝しだした。
その結果究極の悪党が生まれた。
とにかく自分の予測(期待)とは別方向に進んだので理解し辛かったですが、そこに気付いたら満足度は高くなりました。
「今は誰も笑わない」のジョークについて
たぶん日本人特有の疑問だと思います。
トレイラーの頃から疑問でした。
コメディショーにて、アーサーの映像が勝手に使われるシーンがあります。
アーサー「子供の頃は、コメディアンになりたいなんて言うと皆に笑われた。今は誰も笑わない。」
マレー「まったくその通り」
僕の感覚では、このシーンは面白いです。
なのにアーサーはこのシーンをテレビで見て怪訝そうな顔をします。
というか最終的に、これを理由に大胆な行動に出ます。
純粋な日本人の僕の感覚では、「アーサーが自虐ネタを披露し(この時点で面白い)、それを有名司会者のマレーがイジッて更に笑いを生んでいる」と感じました。
しかし本編を見る限りそんなニュアンスは一切無く、単純に「マレーの一方的ないじめ」のようでした。(少なくともアーサーはそう捉えている)
日本では、笑いを生むために「自虐」というテクニックがありますが、海外では自虐ネタは無いと聞いたことがあります。
だからアーサーは、本当に純粋な意味で「今は誰も笑わない。」と宣言したんだと思います。
ですが普段から自虐ネタに慣れている僕は、このシーンが普通に面白かったせいで、終盤の銃殺シーンで少しチグハグしました。
日本のお笑いレベルは非常に高いので、そのせいで生まれた誤解、なのかもしれません。
その他考察・気になる点
・アーサーが電車内で3人の男を銃殺した時、持っていたのは明らかに6発リボルバーなのに、7発発砲していた。妄想シーンだったのかもしれない。
・BGMとして、TVショー系の音楽がかかっていたシーンが妄想、とのコメントあり。
【感想】「JOKER(ジョーカー)」の魅力3個。やはり凡人に“ジョーカー”は理解できない:評価・まとめ
70点
エンタメ性が低いので何度も鑑賞したくなる作品では無いですが、新しいジョーカーの伝説を作ったと思います。